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【連載】私の岸本区政日誌(2)「岸本区政の功績――残したもの、動かしたもの」

  • 執筆者の写真: 吉田洋(杉並区民)
    吉田洋(杉並区民)
  • 7 日前
  • 読了時間: 7分

更新日:6 日前

岸本区政の4年をどう評価するべきか。公約未達や混乱ばかりをつい語りたくなる私であるが、それだけでは一面的に過ぎる。


①田中良前区長の長期区政に終止符を打ったこと。②多くの区民を区政参加へと動かしたこと。そして、③「対話の区政」の難しさと限界を可視化したこと。


失望や批判を含みつつも、岸本区政が杉並に残した功績は確かに存在する。


今回は、その3点から4年間を振り返りたい。

①田中良の区長4選を阻み、落選させた

私は、田中良の区長時代には、区政にほとんど関心がなかったので、実際の詳細はよく知らない。

だが、田中前区長を高く評価する声を、私はあまり見聞きしたことがない。耳にするのは厳しい評判が多かった。威圧的な態度、乱暴な言動、業者との近さ、政治資金パーティや接待、議会中の居眠りや横柄な態度、答弁拒否、議員への下品な野次――そうした批判である。

まさに、旧来型の政治家の象徴のように語られていた。


児童館を「全廃」するなどという耳を疑うような政策。そして何より、阿佐ヶ谷の不可解な三角移転による杉並第一小学校の病院跡地への移転問題の発案者にして推進者でもあった。田中氏自身、この計画を「杉並区民へのプレゼント」と語り、実績としてアピールしていた。

地主と病院の土地取引が決まっているところに、公共財である一等地の小学校用地を差し出し、小学校を軟弱地盤・土壌汚染・浸水被害等が懸念される土地へ移転させる。そのうえ、移転後の跡地開発まで進めようとする。そうした構図に強い疑問を持つ区民は少なくなかった。

現在、日本全国で、公共財を不動産化して開発し、一部の政治家や開発業者が利益を得る構図が広がっているとも言われる。杉並でも、その一例ではないかとの批判があった。


住民運動の団体では、これまで田中氏を区長の座から降そうと、何度も対立候補を立てていた。だが、それも叶わずに頭を抱えていた。そこで浮上したのが岸本さとこ候補だった。立候補要請に応じてくれた救世主のようにも見えた。そして、区民の力を結集させて見事当選した。この辺りは映画『〇月〇日、区長になる女』のとおりである。

②少なくない区民に「杉並デモクラシー」の灯をつけた

私もそうだが、岸本区長をきっかけに区政に関心を持った人は少なくない。

特に私の周りには、現実の問題を抱えた杉並第一小学校の保護者たちをはじめ、ごく普通の一般区民が多く、なおさらそうだった。この問題に関わる区議会議員の活動や、区議会本会議・各委員会での発言などを私が共有すると、熱心に見聞きしてくれる人が現れた。

区主催の集会やオープンハウスに初めて足を運んだという人も増えた。

政治は生活。無関心でいられても、無関係ではいられない。特に自治体政治は最も市民に近い存在であり、直接的な恩恵や不利益もある。

そして、区には様々な部局があり、そこで働く区職員がいて、それぞれ誠実に問題に取り組んでいる。そういう個々の人たちを知ることになったのも、いい歳になって恥ずかしながら、岸本区政の誕生がきっかけだ。

選挙期間中は、区民の中から、「ひとり街宣」を始める人が生まれた。岸本区政がはじまると、Twitter等で区議会の動向をレポートしてくれる方も出てくる。住民集会などでいろいろと教えてくれる先輩市民にも知り合いができた。私の地域での交友関係が大きく変わり、飛躍的に人間関係が広がった。そして、私以外にもこういう体験をした一般区民は一定数いるのではないだろうか。区民の政治的関心を活性化し、動く「市民」を作ったのは岸本区政の大きな成果だ。

改めて、民主主義とは、関心を持つこと、知ること、そして発信することから始まると思う。そして、こうした民主主義に目覚めた人が、1人でも2人でも増えることは大切だ。小さな一歩ではあるだろうが、それが集まると、古い区政を変える大きなうねりにもなるだろう。岸本区政は杉並の民主主義を確実に活性化させた。この感動は今もって消えない。

③「対話の区政」への道のりの遠さを可視化した


<会議体は増えた>


岸本区政になってから、会議体の種類や回数は増えた。だが、実際の会議や集まりは、現実の課題を持って参加した区民にとって、必ずしも有益とはいえないものだった。

例えば、阿佐ヶ谷・杉一小移転問題関連のテーマだけでも、「聴っくオフミーティング」「振り返る会」「各属性・団体別の意見交換会」「オープンハウスと称するパネル展」「まちづくりセッション」「改築検討懇談会」等の各会議体、意見投稿コミュニティサイトの「すぎなみボイス」等があった。

その外形をもって、「対話の区政」が進歩したと評価する人もいるだろう。田中前区政が、あまりにも独善的・強権的で、区民の意見を聞く機会が乏しかったと言われるだけに、なおさらそう見えるのかもしれない。

また、カジュアルな服装の区長が区民とテーブルを共にし、真剣に語り合う光景。参加者の区民が様々なアイデアを付箋に書き、模造紙に貼る光景は、SNSや広報「映え」し、好印象を持った人も多いだろう。

中身の議論は深まっているのか>

だが、私が不信に思うのは、岸本区長やその周辺の人たちが、そういった外形上の「対話」を好み、評価し、中身の議論の深まりには、あまり関心がないように見えたことだ。

実際のところ、区の原案に対して区民の意見やアイデアを具体的に反映する仕組みは見えにくかった。基本的には区の一方的な説明に対して、区民の質問と形式的な回答。あるいは、大勢の区民が順番に自分の思いを語り、区職員はそれを聞くのみ。100人以上が順番を待ち、3時間近くかかる会もあった。

区が「区民との対話の場を持ちました」「丁寧に説明しました」と示すための場ではないか、と感じた区民もいた。俗にいう「ガス抜き」というやつだ。

双方向ではなく、一方通行>

実際に行われたのは「対話」という双方向のやり取りではなかった。 「対話」ではなく、区と区民のそれぞれの「一方通行」。区民に対しては、区民の意見やアイデアがどのように区の計画に反映されるのか、どのように決定プロセスに住民が関与できるのかは十分に示されない。ただ意見を述べる機会だけが与えられる。

「参加者全員に発言の機会を」という建前で、1人1回、順番にマイクが回される。誰かがテーマを投げかけても、その点を掘り下げる議論や、賛否両面から討論する進行はなされず、一巡して終わる。会としての合意(結論)を作り出すことはなく、区は「今日は貴重なご意見を賜りました」として持ち帰るのみだ。

<見直しなき対話>

こうした、一方通行の会議に出席した区長や区職員も疲弊したと思う。だが、それは仕事でもある。それに対して、参加する区民は、仕事を休んだり、事情を調整した上で意思を持って参加している。仕事によっては、時間=収入を削っての参加者もいる。そうであればこそ、対話にならないことへの徒労感は大きかった。

揚げ句の果てには、区職員から「今日この場では反対の声を多く聞いたが、実際には今日ここにいない、もっと多くの賛成の人がいる」といった趣旨の発言もあった。聞いた区民がずっこけるような締めくくりであった。

また、区職員からは「区は当初より見直しをするつもりで会を行ったのではない」という発言も度々聞かれた。いわば「見直しなき対話」だ。

これは、岸本区長が公約で掲げていた「住民の合意が得られていないものはいったん停止し、抜本的に見直します」に大きく反し、区民を落胆させるものだった。区民は、仮に結果が自分の思い通りにならなかったとしても、そこに十分な議論や検討が行われることを期待して集会に参加していた。

私が声をかけ、区主催の集会に初めて参加してくれた一般区民の方々からは、怒りと虚しさと失望の声を聞かされた。

極めつけはビデオメッセージ>

これは「杉一小移転問題」の当事者間では、敗戦を知らせる「玉音放送」とまで言われた。

そこには一切の対話はなかった。以降、岸本区長はこのビデオメッセージという、誰からも質問も意見も受けず、安全に一方的に発信できる方法を多用するようになった。

「民主主義には時間がかかる」「対話には時間がかかる」という。だが、対話を深めるために、よりよい結論を出すために時間をかけて手順を踏んでいるならともかく、外形上だけの対話に、時間と熱量が浪費されていたように見えた。

「対話の区政」への道のりの遠さを実感した、そんな4年間でもあった。(続)

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