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歩こう 

  • さたけれいこ(サブテレニアン)
  • 4月13日
  • 読了時間: 4分
4月13日(日)14時から大山公園を出発点に「あなた・わたしの暮らしに平和を!板橋から未来へ4.13デモ」があります(15時に常盤台公園で解散予定)。オルタナティブスペース・サブテレニアンのさたけれいこさんによるデモへの誘いです。

何のためにデモをするの? そんなことをして何か意味があるの? デモって何?

…言葉を発しながら、歩くことかしら。私の身体と誰かの身体が出会うことで、何かが生まれるかもしれませんね。

板橋では、あなた・わたしの暮らしに平和を! 板橋から未来へ 4.13デモが計画されている
板橋では、あなた・わたしの暮らしに平和を! 板橋から未来へ 4.13デモが計画されている

こんな行進曲が私の頭に浮かびました。

 「愛も名誉も 名も残さずに/生涯をかけんとする 熱い誓い/同志は倒れて 旗のみなびく/新しき日がくるまで 心ゆるがすことなかれ/月日は流れようとも 山河は忘れぬ

/目覚めて叫ぶ 熱い歓声/いざゆかん 生きとし生けるものは続け/いざゆかん 生きとし生けるものは続け」


「임을 위한 행진(あなたのための行進曲)」、光州事変で亡くなった指導者と運動家の追悼のために作られ、以後、闘争歌として普及した韓国の民衆歌謡です。板橋・氷川町の地下にあるオルタナティブスペース・サブテレニアンで昨年1月、この歌が流れました。サブテレニアンが毎年行っている、古典を上演する演劇祭「板橋ビューネ」で招聘した韓国・議政府の劇団허리(HURY:韓国語で「腰」の意)が「マラー/サド」(原作/ペーター・ヴァイス)を上演した時のことです。

1960年代に書かれたこの戯曲は、全体主義と個人主義の対立を描いています。と言っても、わかりやすい対立ではありません。フランス革命でマラーが暗殺されたという史実を精神病院に入院しているサド侯爵が患者たちと共に上演したという設定の話で、ドイツの劇場で初演されました。この原作を韓国を舞台に翻案し、劇を取り仕切るサドを演じるのは劇団の代表であり演出家でもあるユ・ジュンシク氏です。幾層にも重なるドラマを言葉で理解するのは難しいですが、俳優の身体と声、そして歌唱が観客の心に迫ってきます。


ユ・ジュンシク氏は、サブテレニアンの観客から上演の意義を問われ「国家が個人に与える影響は本当に大きいです。韓国でも、国家の圧力がとても大きくなっています。このような時代にこの芝居を打つ意義は大きいと思います。」と答えました。


板橋ビューネでは、毎年韓国の劇団を招聘しています。公的な支援は受けていません。サブテレニアンと、来日する韓国の劇団の自費、そして韓国からは自治体からの支援を受けることもあり、上演が実現しています。サブテレニアンが韓国の劇団から招聘を受けることもあります。昨年は京畿道富川の劇団イエギシアターが京畿道の支援を受けて開催した「ファンタスティック演劇祭」に参加しました。忠清南道礼山からの招聘で劇団イエチョンが主催する「礼唐国際演劇祭」に参加したこともあります。


これらはテレビで紹介されたこともありませんし、ネットでバズったこともありません。日本の演劇界とも関わりが薄いので、聞いたことがないという方がほとんどだと思います。なぜこのような活動をしているのかというと、移動して、身体と身体が出会うことに限りない意義を見出しているからです。既知で既存の価値はそこにはありません。新しい価値が生まれるからです。


サブテレニアンは、「アーキペラゴ(=群島)」の精神を具現化したいと考えています。国家という枠組みには反するものです。それぞれが、それぞれの拠点で新しい価値を生み出していきたい。富川で、礼山で、板橋で。東北で、東海で、関西で。そして、それぞれの拠点同士が繋がって声をあげていきたい。身体と身体を移動して出会いたい。


お客様にとっても新たな出会いがあると思うので、ぜひ見に来てほしいです。また、公的、私的を問わず支援を受けることはなかなか難しいようですが、支援もいただきたいです。


声と声が繋がった例を、もう一つ紹介させてください。パレスチナのアシュタールシアター発の「ガザ・モノローグ」は虐げられたガザの人々の声を集めたテキストです。日本では、パレスチナ人民連帯国際デーに広島で行われたデモで初めて朗読されました。世界のあちこちの劇場で上演されましたが、日本で上演という形をとったのは、サブテレニアンが最初です。この上演を見た名古屋の演劇人寂光根隅的父氏が、名古屋でもぜひ上演したいと七ツ寺共同スタジオの主催で上演しました。氏は名古屋のデモに何度も足を運ぶようになりました。同じく、静岡の演劇人藤田ヒロシ氏が浜松で上演しました。彼と劇団の仲間はその後も路上で朗読を続け、自身で翻訳も行っています。


自分の身体を運んで、声をあげてよかった。心ある人と出会うことができたから。これは、デモの精神にも共通するのではないかしら。


何のためにデモをするの? そんなことをして何か意味があるの? そんなことはわかりません。既存の意味はそこにはないから。新しい価値がそこに生まれることでしょう。

 

さたけれいこ(サブテレニアン 4/12・13 インドレニシアター<ネパール>「life of human body」開催)

 
 
 

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