2/13「いたばし教育財政シンポジウム」に参加して(下)


スクール・サポート・スタッフは専門性の高い大事な仕事 それに見合った身分保障が必要

 次に田原氏のプレゼンについての感想を書く。田原氏はスクール・サポート・スタッフとして働く立場から見える学校の姿について語ってくれた。

 スクール・サポート・スタッフ(SSS)は、多様化する教員の多忙な業務をサポートする仕事を、会計年度任用職員という立場で行う。我が子の学校にも配置されていて、特に1年生のクラスにはよく来てくれていた。先生が全体の授業をする中、個別に子どものサポートをしたり、印刷物の準備をしたりと、主たる授業以外の部分を全面的にフォローしていた。

 SSSが活躍できれば、先生の過剰な労働が緩和されるだろう。保護者からすると、教室は密室になりやすいから、SSSという外部の大人の存在がいることで安心できる面もある。しかし現在SSSは単年度契約。SSSが果たしうる役割の大きさを考えると、学校教育全般について一定の理解があった方がいい。児童生徒の難しい個別対応をすることも多いから、そういった面での知識もあったほうがいいだろう。継続してある程度の収入や身分が保証された状態で働くことができれば、SSSとしての専門性も磨かれ、活躍できるようになると思う。 

 しかし、最低賃金程度の給与で、単年度契約であるため身分保証もないとなると、それはなかなか難しい。SSSは言われたことをやるだけの存在であると軽視しているのか?とも思えてくる。結局は働く人をどれだけ尊重して育てるか、教育にお金を使うかということになってくるのかもしれない。法律事務所の事務職員は、弁護士ではないが同じ方向を向いてサポートする。SSSも教員と同じ方向を向いてサポートする立場として仕事ができれば良いのにと言っていた田原氏の意見はその通りだと思った。


教育の当事者である子どもや住民の多様な声を吸い上げなければ、

コミュニティ・スクールじゃない!

 田原氏はiCS(板橋のコミュニティー・スクールについても取り上げていた。そもそも板橋の学校に子どもを通わせる保護者の中にどれくらいの保護者がCSについて知っているのだろう。CSは学校運営協議会(コミュニティー・スクール)とのこと。学校のことを地域の人たちとともに運営していく仕組みで、CS委員には学校の運営方針を承認する権限や、人事に関して意見することができる。学校評議委員制度と比べて権限も大きい。

 私はコミュニティー・スクール(CS)が始まることにとても期待していた。しかしどうも板橋版のCS(iCS)は委員に対してその権限をしっかり説明していないようで、委員の勉強会のような雰囲気になっているようでがっかりしている。もちろん教育委員会としては教育問題に精通しているわけでもない地域の人から、学校の運営方針を否定されたり、人事に口出しされたりしたらたまらないから、そういうことが起きないように進めたいところではあろう。でも、それでは何のためのCSなのか…。と私は感じていた。


 田原氏はiCSについて、もっと多様な形の参加形態を模索するのはどうだろうと言っていた。私もそう思う。現在のiCSの委員は教育委員会が任命することになっているが、地域の事情を知っているわけではないので、多くはおそらく校長が推薦し、教育委員会が任命していると思われる。実際の委員はPTA会長、地域の自治会長、近隣の幼稚園の園長などで構成されていているが、保護者の委員はPTA会長だけだったりすることもあり、あまりにも実際の当事者である保護者が少なすぎると感じている。


 田原氏は、生徒も参加(傍聴)させるなど、もっと当事者が関わると良いのではと言う。確かに諸外国では職員会議に生徒代表が参加(傍聴)するところも珍しくない。CSは職員会議ではないが、学校の主人公は生徒。当事者である生徒が不在な場で大切なことが決められるのは、子どもの権利が守られているとは言えない。生徒が傍聴することによって、教育に関する意思決定のプロセスの透明性が担保され、生徒も自分たちも当事者であるという意識を持てるようになるかもしれない。


 また、当たり前のことだが、委員の権限はきちんと委員に伝えられるべきだ。地域の人たちに人事まで口出しをされたら混乱するというのは思い込みではないか。地域の人たちへの信頼なしに、コミュニティ・スクールはない。地域によっては、SSSのような立場で働いている人を正規採用したという話も聞いている。地域の人たちの教育に対する思いを大事に、この仕組みをうまく使うことが必要だ。 関連記事:板橋版コミュニティースクール(iCS)についての疑問

オンラインと対面のハイブリッド型の学習会、併せて50名近くの参加者が集まった。

教育問題でも、再開発問題でも、 住民の意見を軽視する区政のあり方が問われている


 ところで、田原氏は「大山問題」を考える活動にも取り組んでいる。大山では都市再開発が進み、タワーマンションの建設ラッシュ。都市再開発とタワーマンション建設には多額の税金が支払われている。再開発は一方的によくないということではない。再開発に賛成している人もいるだろう。しかし、そもそもなぜ再開発することになったのか、区民が必要としている再開発なのか、計画段階から区民に説明をしたり、当事者の意見を取り入れたりする機会はあったのか。田原氏はそこを問題にしている。 

   新聞報道にあるように、大山をはじめとする再開発には莫大なお金が動いている。だが、コロナ禍で、教育や社会保障の予算は縮小化しているのに、いまなぜ?という田原氏の疑問は多くの区民が抱くであろう。  教育の問題に関しても、子どもや保護者、教員などの当事者の意見が反映されているようには見えない。教育問題も、再開発問題も、住民の意見を軽視する区政のあり方が問われている共通の問題であることを、田原氏のプレゼンを聞いて改めて感じた。

持ち物から制服の着用方法まで、細いルールが強制される ルールを作る自治の教育経験こそが主権者教育


 元中学校教師の佐藤氏のプレゼンは「教育とは何か」という根本を問うような内容と、志村小と志村四中の小中一貫校建設についての内容であった。志村小と志村四中の合併、小中一貫校化について、なぜこんなことになっているのか、さっぱりわからない。どう考えても狭い場所に、小中学校を一緒にした建物を建設するのはなぜなだろうか。この問題のおかしさについては、志村小がなくなる? 小中一貫校問題を考える会の新聞を見てほしい。


 

 佐藤氏のプレゼンで一番印象が残っているのは、学校スタンダードや「隠れたカリキュラム」のことだ。中学校では、持ち物から制服の着用方法まで、様々な細いルールが決められている。そして子どもたちはそれを変えようと意見をしても話も聞いてもらえないという状況がある。数学、英語などの教科にはなっていないが、このような合理的でないルールに従わなくてはならない「理不尽に耐える」という隠れたカリキュラムが学校にはある

 これを受け続けるということは、意見があっても変えられないから言っても無駄だよ、戦うなんて愚か者のすることだよ、と教えられているのと同じこと。自分の子どもにこんな自尊感情を削るような教育はして欲しくない。私はこの隠れたカリキュラムが、政治への関与を避ける気持ちや、政治への無関心につながると思っている。小学校、中学校の日常生活でこのカリキュラムを受け続けていたら、中学3年生の公民で人権や憲法を学んでもこれが実際の生活にどのように関係しているのか考えることすら難しくなるだろう。


小学校低学年が毎回持参するのにパソコンは重すぎる!


 山内氏は板橋区内で子育て中の保護者。主にGIGAスクール構想について保護者の立場から思うことをプレゼンしていた。パソコンを学校に毎回持参する。小学校低学年には重いです。確かに!うちにもヒョロヒョロの低学年の子がいるので良くわかります。オンライン授業の対応が各学校あまりにも違うというのもその通り。設備にお金をかけるのなら、少人数学級にすることにお金をかけて欲しいという話も山内氏からあった。

 私も少人数学級は望ましい姿だと思う。でもそれが難しいのなら、まずは複数担任生も良いと思う。少人数学級だとその先生と合わない場合、逃げ場がなくなるからだ。先生も子どもも人間だから、合う、合わないの相性がどうしてもある。2クラスに3人の教師、それも難しいなら低学年は1クラスに1人のスクールサポートスタッフなど。オルタナティブ教育で見かける3学年混合クラスにして少人数クラスにするのも、教え合いができて良いと思う。

 世界には色々なやり方があって、成功例もたくさんあるから、子どもの人数を少なくすることだけでなく、各学校で試行錯誤しながらやってみればいい、それが特色のある学校作りにもつながるのに、と山内氏の話を聞きながら考えた。



いま、問われている板橋の民主主義


 全体を通して思ったことは、教育も再開発も、小中一貫校問題も結局は住民の意見が反映された区政になっていないことが問題だということだ。全員の意見を反映するのは無理だろうが、意思決定のプロセスがあまりにも不透明で、誰がいつどのように決めたのかわからないようなものが多い。私たちのことは私たちで話し合って決めるというのが民主主義の基本なはずだ。いま、板橋の民主主義が問われているのだ。






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