住民運動を通じて分かった板橋区政の体質から読み解く
このたび、板橋区においては掲題の条例を策定することになったとして、その案の概要が示された。これは、本条例(案)に対する住民など関係者の意見(パブリック・コメント)を募集したいとの目的で示されたものなので、本区に関係する多くの方からの多角的な意見がまたれるところである。
すでに当サイトにおいても、専門的なお立場の方々から的を射た解説と制度運用上の示唆に富むご提言(※1)をいただいていることは大変ありがたいことと思う。
(※1)専門家の提言
2020年5月20日 伊藤 久雄 氏(認定NPO法人まちぽっと理事)
2020年6月3日 黒川 滋 氏(朝霞市議会議員)
2020年6月3日 中俣 保志 氏(香川短期大学教員)
一般的に、この種の条例を策定しようとする行政の姿勢は、概ね住民の側を向いていることが多いと言われている。それは行政の側も、施策(都市計画等)を進める上で、それに反対する運動が起こることは決して歓迎するものではないということや、住民本位あるいは住民との合意という概念は、長い目で見ると行政運営の上からも一定の価値があるということに気付き始めたという〝時代の流れ〟がもたらすものと考えられている。
前述の、専門的なお立場の方々も、そのような観点から、住民の側にあっても意識を高め、情報を集めて積極的にまちづくりに参加していくことで、この条例の効用を享受すべきであるという、概ねポジティブな論調であったように感じた。
このような中で今回私は、板橋区が所管する (再)開発事業や道路計画に、実際に見直しを求める住民としていささか関わりを持った経験から、ここに示された概要と、本条例(案)がその「実現に寄与すること」を目的としている「板橋区都市づくりビジョン」を踏まえ、区の行政姿勢に照らした考察として、若干の意見を述べてみたい。
【参考資料】
*1 「(仮称)板橋区都市づくり推進条例案 概要」
*2 「板橋区都市づくりビジョン」
*3 (仮称)板橋区都市づくり推進条例案のパブリック・コメントの実施について
1.そもそもの疑問点
1)「都市づくり」とはどのような概念か
都市計画法が改正された2006年前後から、建物や道路といったハードだけでなく、むしろその土地の歴史や文化、あるいは独自に形成されたコミュニティーといったソフトまでをも含めた「総体としての概念」として、今日までにほぼ定着している感のある「(ひらがな)まちづくり」ではなく、あまり馴染みのない「都市づくり」という語を敢えて条例の名に使用する意味はどういったことかを含め、この語の概念を定義すべきである。
何となれば、都市づくりという語からは、ハード(構造物)こそが街を形成するものであるというイメージが強い。都市開発という成語があるように、都市は開発と密接不可分の語であるが、一方、まち開発という語はない。
それは、高度経済成長期のように、開発が国家も人々も豊かにするものと捉えられていた時代と違い、現代そしてこれからの社会は、前述したソフト面に比重を置いたまちをつくることこそが人々の生活を充足させ、人々が充実した暮らしを送ることが延いては国家の豊かさと言えるという、新しい概念のもとでまちづくりという語が用いられてきたからだと考えるが、その認識による語感どおりの概念と考えて良いものかを知りたいからである。
2)「協働」とは
一方「協働」という語は、近年ではとりわけ、あるべき〝まちづくり〟の手法として(「まちづくり」の概念とともに)定着した感のある語である。
本条例(案)においても、地域の課題や案件を行政が単独で解決したり推進したりするのではなく、住民が、場合によっては事業者らも含めて、施策(もしくは計画等)の決定プロセスに積極的に参加できる余地があり、その意向が充分に取り入れられた(合意が形成された)上で、それらの施策(もしくは計画等)が進められていくような方式、という一般的な理解で良いだろうか。
「協働」は、本概要の「2 都市づくりの基本理念」の(2)に出てくる。曰く、「区をより良いまちとするため、区民等、事業者及び区がそれぞれの役割を認識し、協働で都市づくりに取り組む。」つまり区民は、その役割を認識し、事業者や区と協働で都市づくりに取り組む…と読める。
では区民の役割とは何か。それは次の「3 区民等の役割、事業者・区の責務」に(1)として区民等の役割が記されている。一行目に曰く、「都市づくりの基本理念を理解し、その実現に向けて協力するよう努める」
「都市づくりの基本理念」とは先ほどの「2」で謳っているものである。堂々巡りのようであるが、何のことはない、「板橋区都市づくりビジョン」の実現に寄与することが目的の都市づくりに協力することが協働の意味であるようだ。
この解釈だと、異議を唱えたり対案を出したりする行為は、「協力していない」「協働に背くもの」と扱われかねない危惧がある。協働の協は協議の協でもある。異議を認め協議を積み重ね、最大公約数たる一致点を模索することは協働に反しないという点を、いずれかの形で明示すべきものと考える。
2.まちづくり協議会の実効性と哲学が見えない
まちづくり協議会について
1)区民発意による都市づくりの促進
「5 区民発意による都市づくりの促進」に規定されるまちづくり協議会は、本条例(案)の根幹をなすものだと思われるが、概念構成は大変分かりづらい。
届出・登録・承認と三つのまちづくり協議会の設立が想定されているが、
従来あった、そして現在も稼働しているまちづくり協議会との関係は如何
これら三種のまちづくり協議会が、実際の都市づくり行為とかかわる際の、役割の相違とは何か
それとも、都市計画の種別(?)によって、どの計画にどのまちづくり協議会がかかわるかが変わるのか
この条例が目的とする前述の都市づくりビジョンにおいても、都市づくりという語とまちづくりという語が競って何かを規定しようとしているが、
まちづくり協議会の構成員とその選任法
まちづくり協議会と区との関係
まちづくりプランとは何か。都市計画との関係は如何
といった具合に疑問点が多く、混迷を深めるだけである。
区民を混迷させることが目的の条例ではないのなら、もっと分かりやすくして区民の意識を高めさせ、積極的な発意と参加を促すものにすべきではないだろうか。
2)区民参加のレベル位置づけ
まちづくり協議会は、地区計画制度等を活用した区民発意の都市づくりを推進するために位置付けられているが、発意後の計画策定過程、さらには運用過程での住民参加、あるいは住民の意見の再検証などの手続きがない。
その意味で、「6 都市計画・景観計画の手続き」の「(3)都市計画の案の作成手続きに係る事項」における「都市計画の案の作成にあたり、住民の意見を反映させるための必要な事項」は、規則ではなく本条例中に規定されるべきものと考える。
(「都市づくりビジョン」との絡みであろうか、他項では「区民等」や「区民」、そしてこの項では「住民」と、微妙に用語が変わるところにも言い知れぬ違和感を覚える。)
3)都市づくりを先導的に推進すべき地区等
「4 都市づくりを先導的に推進すべき地区等」に言う、都市づくりを先導的に推進すべき地区ならびに都市づくりを先導的に推進すべき地区に準ずる地区とは何か。
4)住民等が主体となった都市づくり
「都市建設委員会資料」として、本年5月14日に発出されている「(仮称)板橋区都市づくり推進条例案のパブリック・コメントの実施について」で、本条例案を説明した項目「2 課題」の「(1) 住民等が主体となった都市づくり」に記載の「住民自らが地域の都市づくりを検討の段階から主体的に進めていけるよう、複雑な都市づくりへの参画手続きを透明化するとともに住民発意の都市づくりを受け止める制度や、住民等が主体となった都市づくりの活動を促進する制度を充実する」との理念は、単にまちづくり協議会の設置についてだけを述べたものではないと推察するが、本条例案のどこにどのように反映されているか。
3.行政と住民の関係において、信頼を失うことほど不幸なことはない
現在、東京都と板橋区さらには再開発事業組合によって、大山地区で進められている各種の事業・計画に若干の関わりを持つ者としては、住民の本当の声(説明会における計画見直しを要求する数々の声、数多の陳情、前代未聞の数となった計画案への意見書等々)に全く耳を傾けず、一方で、この大山改造計画の完遂後には、どのような素晴らしい〝都市〟が出来上がるのかについてすら全く〝ビジョン〟を開陳しない区のやり方に絶望感すら抱きつつ、甚大な危惧をもって以下の総論的意見を表明したい。
まず、今ここにきて新条例を策定することとなったことにより、従前、まちづくりの名のもと、各所で進められてきた(再)開発や計画は、根拠条例に基づかないものだったということを区自らが披瀝したわけだが、根拠条例に基づかない手続きで実施されている現在の計画は、違法とまでは言えなくても、極めて法的安定性に欠けるものであるということを指摘したい。
その上で、この新条例が、そういった不安定性を埋め合わせるものであるなら、それは、区が今までの計画等の実施で行ってきたやり方を、あと付けで固定化、正当化し、前例として今後も同様なやり方を執り続けることを意味していると言えよう。
つまり、この新条例により、今後も板橋では時代遅れの開発型改造とまち壊しを続けるということであるのなら、板橋を愛する者としてその考え方自体に異を唱えざるを得ない。
いずれにせよ、現段階では「条例案の概要」が示されただけで、既述のように、内容は漠として要領を得ないものである。従って、具体的な条文が明示された段階で、改めて区民に意見を求めるということが必須の民主的手続きと考える。
およそ行政と住民の関係において、信頼を失うことほど不幸なことはないように思う。
私自身、居住する地区で板橋区(都市整備部)がかつて募集していた〝まちづくりの会〟に公募委員として参加したことから区との関係が始まったのだが、以来8年ほどの間に、この地を来るべき時代にふさわしいまちに造り上げるという点において、区を信頼し、協働して関わっていこうという気持ちにはついぞなることはなかった。
それは、一方で地域住民の声を聴く素振りで〝まちづくりの会〟を催しながら、他方、区政の内部では、別の目的と手法によって着々と大規模開発に基づく大改造計画を練っているような不実を続けてきたこと、そしてそれをある日青天の霹靂のごとくにトップダウンするや、以後、アリバイ工作のような説明会を何回も開き、その都度怒号のような疑問と反対の声が飛び交ったにもかかわらず、1㎜も歩み寄る姿勢を見せずに強行していることなどから、二重三重に裏切られてきた思いが強く、協働も合意も空しい響きに聞こえるばかりの地点に追いやられてきたからにほかならない。
そのような立ち位置から、今回のこの新条例(案)を眺めると、全ての術語に見えざる仕掛けがあるように見えることは、自身、無理からぬことのように思える。
今後、この不信の溝を埋めていく作業には、絶望的とも言える甚大な労力が必要であろう。
※ 先月、区の都市建設委員会は、大山地区における開発や計画について、まさに「住民との合意」を形成した上で進めることを求める陳情すら不採択とする暴挙に出た。
このようなことが臆面もなくまかり通る議会と、それと一体の区の執政に直面し続けていると、新規に「(まちづくりではなく)都市づくり条例」を制定しようとしている現実を、やはり好意的に受け入れることはできない(疑心暗鬼が拭えない)という見解を最後に敢えて付記しておきたい。
2020年6月7日
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