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  • 執筆者の写真秋山 茉莉奈

夏の渋谷、二人の罪


プロミシング・ヤング・ウーマン、良かったすよ。まだ観てないなら観てほしい。映画の構成としてめちゃめちゃ面白い。フェミニズムの文脈もきちんと描かれている。ただ、けっこうしんどくなるような性暴力の描写があるかもしれないから、そこは気を付けて」


何気ない「最近なにか映画見ました?」という会話を行きつけの本屋の店主としていたところ、このように薦められた。映像作品が公開される前に性暴力の描写の有無が言及されるようになってきたと思うが、徹底されているとは言えない。だからこそ、この店主の気遣いがとても嬉しかった(同時に希少だとも思った)。


昼の暑さが居座り続ける夕方、仕事帰りの私は渋谷パルコのホワイトシネクイントに向かった。18時半の回の客席はまばらで、私と同年代ぐらいの三十代前半の女性と中年の男性が数名ずついた。より見やすい席を探して階段を下っていくと、一組の若い男女のカップルを見つけた。私は何も疑問を持たずに、感心してしまった。フェミニズムや性暴力がテーマとなっている映画をカップルで鑑賞するなんて、なんと意識が高いのだろう。観終わった後、彼らは何を話すのだろう。性暴力について、この社会について、ファミレスやカフェで話し込んだりするのだろうか。


エンドロールが終わり、会場内が明るくなった。私は体調が悪くなっていた。身体に力が入らず、内臓機能が低下して昼間に食べた物が逆流してきそうな。本屋の店主の忠告通り、というより、想像を超えてしんどくなっていた。映画を観て吐きそうになったのは、これが初めてだったかもしれない。映画内ではあらゆる性暴力が描かれていたので、個人的な記憶のフラッシュバックもあった。


しかし、これは吐きそうになった大きな原因ではない。性暴力を矮小化するつもりは決してないが、私も経験したことのあるシーンは、多くの人々が通ってきた道だと思う。全てにおいて未遂で、「よくあることだよね」と片付けられてしまうようなこと。だから私は傷つかなった。当たり前だから、傷つくことが出来なくなっていた。


ではなぜここまで、体調が悪くなるほどのダメージを負ったのだろう。


それは、物語のクライマックスで語られる、この社会の女性に対する暴力の具現化があまりにも象徴的だったからだ。伊藤詩織さん[i]、大林三佐子[ii]さんの事件など、「女性」であるがゆえに起こった事件の記憶がどっと押し寄せてきた。いわゆる女性の身体を持ち、女性として社会を生きる自分の身にいつ起きてもおかしくない事件が、この社会では毎日のように発生している。犯罪統計などを見ても、「よくあること」である。日常に紛れ込み、暴力という表現を使うことが憚られるほど「よくあること」だ。ただ、残忍なクライマックスの映像が、私のなかの堤防を壊した。堰き止めていた「よくあること」に収れんされた記憶や情報が、次々と洪水のように流れ込んできた。そして気付いたのだ。「よくあること」の裏に隠されていた多くの暴力と死に。


大洪水に押し出されるように、私の呼吸は荒くなり、胃は痛くなり、足が震え出していた。

ホワイトシネクイントは渋谷パルコの8階にある。早く階下に降りたい一心で、エレベータに乗り込んだ。行き先階を押して「閉」ボタンを連打していたら、一組の男女が乗り込もうとしてきたため、慌てて「開」ボタンを押した。映画館の前方に座っていた男女だった。


「すみません」「ありがとうごいまーす」と詫びをいれながら乗り込んだ二人が入れる隙間を作るため、私は端へ移動した。扉が閉まると、二人は会話を始めた。


「でも本当にあれだよね、男だったら酒は飲むなって映画だったよね」

「…え? どういうこと」

「酒飲むと、男は何するかわからない、だから気を付けろってそういう映画だよね?」

「違うでしょ? なんでそう思う訳?」

「だってさ、酒飲んだ男がやらかしちゃった。そしたらヤバい女に仕返しされて、面倒臭いことになった。そういう話でしょ?」


違う。彼はいったいどうしたのだ。何か意図があってのことか、それとも本気で言っているのか。いずれにしても、あまりにもおぞましくて私は狼狽した。彼女は、彼が最後に投げかけた問いに対して同意も否定もせずに、エレベータが下へ下へと降りていくのを待っていた。


この狭い空間のなかに、狼狽した女が二人いた。狼狽を通り越して私たちはゾッとしていた。せめても、女が二人いて良かったと思いながら。


エレベータの扉が開いた瞬間に、私は二人を追い越して外に飛び出た。こんな男と、一秒でも同じ空気を吸いたくないと思いながら。というより、恐怖感を感じていたと思う。ズンズンと進んだ後に私は振り返り、彼女の方に強い視線を送った。少し驚いた様子だったが、呼応するように目を合わせてくれた。


即席のシスターフッドに感謝しながら、私は彼女にこう伝えた。


「その男は恋人?まだ恋人でなければ、離れて。いや、恋人でも離れた方が良い。こんな認識を持つ男性と一緒にいるのは本当に危険だよ」


そこまで言ってから私は少し考えた。どの未来が最適か、大人として何が伝えらえるか。


「でもね、親しいあなたが、彼にあの映画の問題点やジェンダーのことを教えてほしいと思う。そうすれば、彼も違う認識が持てると思うの」


彼女は少し眉を吊り上げて、ゆっくりと私に注意するように続けた。


「お姉さん、助言をありがとう。でもそれはちょっと違うんじゃないかな。彼にこの社会で起こっている事象を親切に教えてあげるのは、私の仕事じゃないよ。公教育や行政の仕事だよ。お姉さんは、私よりだいぶ年上に見えるけど、あなたたちの世代がやり残したことなんじゃない?」


ぐうの音も出なかった。


「という訳でこんなクソ男、ここに置いていくね」


夜の渋谷は多くの人が行きかう。パルコの一階では、呆然とした二人が残された。立ち尽くした私たちの前を行きかう群衆のなかに、二人の罪が同じものだと気付く人はどれぐらいいるだろうか。



あきやま・まりな ライターやDJ活動をする都内の区役所に勤める公務員。ヒップホップやストリートカルチャーが好き。


 

[i] 2015年にフリージャーナリストの伊藤詩織氏が、元TBSテレビ報道局記者の山口敬之氏から準強姦被害を受けた事件。2022年7月に最高裁は性的被害を認め、山口氏に330万円余りの賠償を命じるなどした判決が確定した。 [ii] 2020年11月、渋谷区の甲州街道沿いのバス停「幡ケ谷谷原町」のベンチに座っていた大林三佐子さんが、男に石などが入ったポリ袋で頭を殴られ死亡した事件。この事件に関して、保釈中に自殺した容疑者の吉田和人の生い立ちなど「男性の生きづらさ」についても考える必要があると思う。また、殺害された大林さんは半年以上も路上生活をしていたにも関わらず福祉に相談をしていなかったことも、事件発生の大きなファクターだと考える。


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