• 和田 悠(立教大学文学部教育学科教授)

メール・インタビュー 地域コミュニティと政治と私と

最終更新: 2月25日

板橋の市民運動である「くらしにデモクラシーを!板橋ネットワーク」はどうやって始まり、どんなことを大切にして活動を続けてきたのか。立ち上げから関わってきた和田悠さん(立教大学文学部教育学科教授、志村在住)にメール・インタビューで話を聞いた

―「くらしにデモクラシーを!板橋ネットワーク」の活動に参加したきっかけを教えてください。


 少し時間をさかのぼらせてください。2009年1月から「板橋茶論」(いたばしさろん)という「お茶の間ゼミ」のような「だべり場」を始めます。それを始めたきっかけはいくつかあるのですが、その一つが、子どもを預けていたあずさわ保育園のバザーに参加したことなんですよ。日頃お世話になっている保育士の方と一緒に焼きそばを焼いてふるまって喜んでもらう。夜は地域の居酒屋で打ち上げ。夫婦の馴れ初めの話や、保育園での子どもたちの様子、普段の仕事の話、そういった「たわいもない」ような話し合いが「興奮」するほど面白かった。つまりは、地域コミュニティを体感したんです。私の場合には中学受験をしたので「地元」というつながりを持つことがなかった。居住地で飲んで話すことがこれほどまでに楽しいのか。自分が解放されるような体験でした。



社会文化学会夏季研究集会「韓国の〈いま〉を知る旅」(2018年8月20日〜23日)にくらデモの仲間と一緒に参加。写真はソウル市長の朴元淳さんを表敬訪問した時のもの。写真中央の子どもの肩に手を当てているのが和田悠さん。

 そこで、地域で人びとが交流し合うような場を作れないか。「京都自由大学」の取り組みを知っていたので、「学び」を核にした話し合いの場を作ろうと思ったのです。その時は大学の非常勤講師で時間的余裕もあり、先行きが不透明でもあり、30代前半でしたからエネルギーも有り余っていたように思います。その経緯については仲間と一緒に書いた本『リアル世界をあきらめない』にも書きました。もしよかったらお読みください。

―「板橋茶論」を始める上で決めていたことはありますか?


 連れ合いが東都生活協同組合の職員なんです。生協の理念に「産直」というものがありますが、これに着想を得て、学ぶこと、知ることも「地産地消」で行こうと。そして地域に根差した学びの場にしたいと思ったので、当初は強く「板橋しばり」をかけていました。板橋に関わることをテーマにする、板橋に住んでいる人に講師をお願いする。そんなことを大事にしていました。よく市民運動で「偉い」大学や弁護士の先生、あるいはタレント文化人を遠くから呼んできて、そのお話をありがたく「承る」というのがよくありますが、そういうのは権威主義的だと思うんですね。内容が民主主義的であっても、方法が民主主義的なければ、学ぶことの民主主義が実現しない。暮らしの場である地域で普遍的とされる問題を問い直したい。ローカルであることに価値を見出そうとしていました。


もう一つは、積極的に政治の問題を扱うこと。学ぶことと社会を変えることを切り離すようでは、学びは現実と切り離されたアクセサリーになってしまう。趣味の園芸になってしまう。後に私たちは「行動するが如く思考せよ」という言い方で、「板橋茶論」の学びを表現しました。

―「板橋茶論」からどうやって「くらしにデモクラシーを!板橋ネットワーク」につながるのですか?

2011年3月に東日本大震災が起き、それに伴い、東京電力福島第一原発事故が起きます。

私は大学時代に脱原発の物理学者の藤田祐幸先生の授業を受けていましたので、原発問題についてはある程度のことは知っていました。その点では冷静でしたが、子ども二人が保育園に通っていた時で(上の息子が3歳、下の息子0歳)、子どもを被ばくから守りたいという思いに駆られました。東京の水道水で放射性物質が検出されたとニュース速報で知り、急いで近所の自販機で天然水を買い占めようとし、全く同じ行動をとった人と顔を合わせたときのバツの悪さは記憶にあります。


 連れ合いは生協勤務で、福島をはじめ産地の生産者に思いを寄せていました。「食べて応援は自殺行為だ」と言い放つ脱原発派に対して、それは消費者の傲慢だと怒っていたのを覚えています。連れ合いに連れられて脱原発のデモによく参加していました。

 手元のメモを見ますと、2011年6月1日に板橋区の教育委員会とエコポリスセンターが区立小学校でヤゴ救出作戦を実施し、これが不用意に子どもを被ばくさせる取り組みだと非難の声が保護者からSNS上であがります。6月12日に、板橋区被ばくから子どもを守る会の第1回総会が開かれています。6月30日には、板橋区、区立小学校3校の児童が茶摘み体験で摘んだ茶葉を製茶したところ、国の基準を超える放射性セシウムが検出されたことを発表しています。


 「被ばくから子どもを守る会」は母親中心の運動でした。ママ友も運動に関わっていたのですが、男性である私が出て行かない方がいいという助言もあり、関心を持って見守っていました。


 「守る会」が議会への請願署名運動を展開する一方で、2011年8月頃から、板橋でも脱原発デモ「さよなら原発ウォーク@板橋」を各地域の取り組みに呼応してやろうという動きが出てきます。私は1回目の実行委員会に誘われていたのですが、政党色が強すぎると見えて敬遠しました。しかし、そういう自分の「了見の狭さ」が問題ではないか。原発をとめるためには、無党派市民が積極的に地域に出ていって、偏見を持たずに政党や団体とも協同すべきは協同すべきなのではないか。私のなかで方針を転換し、関わる以上は自分もエクスキューズせずにいられる超党派の脱原発運動にしようと腹を決めました。


そこで私の方で、「板橋茶論」で出会った仲間たちに、脱原発デモの実行委員会に参加しようよ、と声をかけて、第2回の実行委員会から参加します。「板橋茶論」は会員制ではないのですが、ほぼ毎月1回のペースで集まりを持つなかで気の合う常連さんができていました。


 高島平団地での脱原発デモ「さよなら原発ウォーク@板橋」の実行委員会が発展的に解消し、2011年10月12日に「さようなら原発@板橋ネットワーク」という運動体が発足します。当初は「脱原発」の一点共闘の運動でしたが、私たちは地域で暮らす生活者でもあり、「さようなら原発@板橋ネットワーク」の参加者には子育て中の保護者も多く、公立保育園のバス遠足の廃止や学童保育の質の切り下げ(あいキッズ問題)の問題にも直面しました。また、集団的自衛権の行使が閣議決定されるといった立憲主義をなしくずしにする動きも出てきます。そうしたなかで、「脱原発」の一点共闘の「了見の狭さ」を超えて、そして本当に原発をとめるためにも、社会のなかの民主主義を全体として追求しなくてはいけないという問題意識が生まれ、2014年6月21日に「くらしにデモクラシーを!板橋ネットワーク」が発足します。


 もちろん、一点共闘、シングルイシューの方が運動をやりやすい側面はあります。しかし、市民運動が個別のテーマだけを追っていると、ともすると全体を見失ってしまう危険性もあるように思います。このあたりのバランスは本当に難しいのですが…。


 私たちの運動が「さようなら原発@板橋ネットワーク」のままであったならば、例えば、保守と革新の壁を越えて、市民の手に区政を取り戻そうという問題意識を持って、市民の手で候補者を擁立し、区長選に関わろうといった取り組みも私たちのなかから出てこなかったとも思うんですよ。これは確実に言えることです。それに、シングルイシューの運動は実現すべき方向性がすでに明確である。良心的ではあるけれども、ともすれば「自分たちのいうことを聞け」という啓蒙主義にも陥りやすいのではないでしょうか。私たちの運動が開かれているものだとすれば、私たち自身が迷いながら、考えているところにあるんじゃないかなあ。


―これまでの活動でもっとも印象に残っていることは何ですか?


 この質問をもらってずっと考えていたんですが、1つというのは難しい。高島平団地での「さよなら原発ウォーク@板橋」のデモ出発前の集会で私が0歳児をおぶって司会をしたのですが、これはこの運動が男性の家事参加、ジェンダー平等のセンスを持っていますよというメッセージでもありました。集会中、0歳児が居眠りをして船を漕ぎ出しまして、参加者がざわついたシーンというのは印象深い。ですが、記憶から薄れつつあるのも確かです。


 「さようなら原発@板橋ネットワーク」を発足させるにあたって、規約を作り、会員制にして役職も決めるという提案をされた方がいたのですが、それに対して私や武田和夫さんが、運動が生命力を失って制度化・形骸化するのを警戒し、メンバーも決して多くないし、全員が代表という気持ちで取り組むこと必要だと押し返したことや、「さようなら原発@板橋ネットワーク」のリーフレットを作ろうという提案に対して、そういう名刺(肩書き)がわりのものを作ることから運動はおかしくなる、普通の運動に成り下がってしまうと必死に小松容子さんが抗議し、それが結果として受け入れられたという場面も印象に残っています。


 直近(2019年12月8日)の蓮根地域センターでの「貧困と政治」シンポジウム。前宣伝ということで、板橋区在住でノンフィクション作家の中村淳彦さんと、貧困問題をライフワークにしてきた弁護士の宇都宮健児さんと、立憲民主党の板橋総支部の阿久津幸彦さんの3人に西台駅街頭で話してもらうミニシンポは、私たちの運動が外に向かって意識的に発信していく新しい転機になったのではないかとも思います。市民運動が自己満足に終わらないためは、ちょっとした労力が必要で、外に向かって開かれていないといけないんです。異質な物とのぶつかり合いを恐れてはいけない。屋内集会というのは同質な人が集まるからやりやすい面はあります。もちろん議論を深められるという良さもあるのですが。しかし、他者に対する働きかけという点では、街頭や市民社会のなかにも積極的に「くらデモ」の居場所を作っていかなければいけない。今回のウェブサイトによる発信も、「貧困と政治」シンポの延長線上にあるという印象を個人としては持っています。

―これまでお話を伺ってきて、「開かれている」というのはくらデモらしさ(特徴)だということだと思ったのですが、他に特徴はありますか?

 市民運動というと高齢化が進み、男性中心という傾向もあるように思いますが、私たちの運動には10代から80代までが参加しており、「多世代」という特徴があります。また、例会やその後の懇親会では女性の方が多いですよね。男女がともに活動している、女性もまた権限がある。そんなのは当たり前のことですが、市民運動でも、市民社会でもまだまだ常識になっていませんよね。


 ただし、10代、20代は常連さんにまではなっていない。若者ともっとつながっていくということは課題としてあります。しかし、やたらに若者を持ち上げるようなこともおかしい。この点では、最近、板橋区民になってしまった(笑)桔川純子さんがくらデモに参加してくださっており、大学生の学費値下げ運動にも関わっておられます。そういうルートで若者と出会えるかもしれないとワクワクもしているところです。人間関係の束(ネットワーク)として私たちの運動はある。それは大きな特徴ですね。


 桔川さんとは最初は学会を通じて知り合ったのですが、私は桔川さんから韓国の市民運動を教わり、「板橋茶論」を始めるインスピレーションになったことも付け加えておきます。

 私たちは市民が主体の政治を実現する運動体ですが、それが機能的、目的的、官僚的にならないのは、「板橋茶論」という文化的つながりを前提にしているからだと思っています。 


 私たちは地域で「社交」を楽しみながら、政治にも取り組んでいます。組織ではなく、あくまでも運動。代表もおかない、規約も持たないでやってきました。やめたいときはいつでもやめられる。また参加したいときはいつでもどうぞ。


 地域コミュニティと政治と、という点は「板橋茶論」からの一貫した特徴と言えるかもしれませんね。と同時に、絶対に規約を持つべきじゃない、組織にすべきじゃないという思い込みからも自由でありたいし、自由です。今後、どういう市民の運動を展開していくのかは私もわかりませんが、私もその議論に参加して考えていきます。このインタビューを読んでくださり、少しでも私たちの運動に関心を持ってくださったあなたとも一緒に考え、行動していけたらなおうれしいです。

(2020年5月1日 聞き手は菅原さつき)


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